シャドバWBのストーリー「伽藍編」の感想を書きます。ネタバレですので未読の方はお気をつけください。
伽藍とは何者なのか
キーワードを入力して真エンドを解放する「ドライツェーン編」、時系列にトリックのあった「歪原火熾編」などと比べると、伽藍編は圧倒的にシンプルでわかりやすい物語でした。伽藍が悪を倒すという物語。
全体構成に注目するならば、主人公が何者なのか分からず、敵と戦う過程で徐々に明らかになっていき、クライマックスシーンで主人公のすべてがわかるという展開になっていました。伽藍こそが最大の謎でした。
伽藍は不老不死に近く、少なくとも二千歳を超えています。九つの首を持つ「九竜」と対話すべく集った9人の英雄の1人。当時の彼は武闘にしか興味がなく、他の8人の英雄を倒し、1人で「九竜」も殺してしまいました。「九竜」の力を取り込むことで、神にも等しい武力と、永遠の命を手に入れたのです。
頂点に上り詰めた伽藍は次第に虚しさを覚えるようになりました。対等に戦える相手がもうこの世にいないと悟ったのです。自身の「九竜」の力に枷をかけて封印していました。相手の力が強ければ強いほど、伽藍の力も増すような枷になっています。
伽藍を倒すべく多くの武闘家が立ち上がり、武力こそすべての時代になっていきました。そこで生まれたのが「武兵紙(ブインシー)」でした。武術流派がランク付けされたのです。
伽藍の使う「九竜乃拳」は当然1番に記載されています。これは伽藍編第3章に出てきた時からこのような記載になっていました。まさかこれが伽藍のことだったとは、という驚きを与える構成になっています。

武兵紙と階位が絶対視された結果、力を持たぬ民衆が苦しめられる時代になってしまいました。伽藍は後悔し、世に蔓延る武兵紙を燃やし尽くすことにしました。
武兵紙を燃やして回る犯人は「凶手(ショウシュ)」と呼ばれるようになり、伽藍の異名の1つになっています。世間の人からは、凶手とは武兵紙に載ることができなかった落伍者なのだろうと思われていました。
すべての武兵紙を燃やし尽くしたとき、彼はそれまでの名前を捨てて伽藍と名乗り始めます。空虚でなにもない"伽藍堂"の伽藍として。
ここから物語のスタート地点に入ってくるわけですね。隕鉄街を治める統治組織は「九竜」を名乗っているのですが、そこに武兵紙がまだ1枚残っていたのです。
闘争の果てに
強敵たちとの戦いの中で、徐々に伽藍の人となりや想いが明かされました。ラスボスである愛李(アイリー)を倒して、物語は終幕となりました。
伽藍は暁(シャオ)に希望を託すことにしました。「九竜」の力の一部を分け与え、それを返しに来いと伝えたのです。物語冒頭で伽藍が子供たちと鬼ごっこをしていましたが、それになぞらえて。
伽藍のもとにはタヌからの誘いがありました。以前にも一度来ていたと言っていたので、「狼の宴」の前回開催のときにも声がかかっていたのかもしれません。諦念に沈んでいた前回とは異なり、今回は強敵を求めて伽藍は旅立ちました。
伽藍には叶えたい願いはありません。武の頂きを求めて参加することになります。ドライツェーンにも理解を示してくれそうではありますが、今後どのような役回りになっていくでしょうか。
旧シャドバの頃から、ストーリーは技巧を凝らしたダークファンタジーが展開されてきました。伽藍編は今までとは趣向が異なり、武こそすべての分かりやすい世界観と、勧善懲悪の末に救いが訪れるストレートな物語でした。リーダーごとに世界を変えて物語を展開している今作だからこそ出せる振れ幅だなと思いました。